(ずっと欲しかったカメラを買って初めて撮った写真。ファーストフォトはもちろん僕の大好きな福ちゃん。ブレてるし下手くそ。笑)
今日は、休日電話当番で出勤だった。誕生日の翌日なのに、関係なし。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
今日は、金曜に来られなかった分実家に帰って来た。だから本当は、明日休みたかったんだけど。
例によって、福ちゃんに会いに来た。でもなんか最近、福ちゃんに会える喜びっていうのがあまり無くなって来ている…
いや、もちろん会えるのは嬉しいんだけれど、そういう気持ちが打ち消されてしまうほど、容体がどんどん悪くなって来ている。特に、ここ三週間の悪化の具合が本当に酷い。
今日なんか、帰って来て挨拶しに行った時に衝撃を受けた。顔は先週より更にゲッソリし、毛並みも最悪。口の周りは流れ出た溶岩が固まったかの如く、赤黒い血の塊でまみれている。前から膿でグジョグジョだった左目も、開いていない。恐らく、もう視力は無いんじゃないかな。鼻には1センチ大の血膿の塊、顎から耳の後ろにかけては骨が溶けているためか、だいぶ歪な形になってしまっている。
あれ、年末に病院で治療してからは、暫く元気だったのにな。おかしいな?なんでこんなことになっているんだ。僕がちゃんと見ていなかったからかな。ずっと側に居てあげられてたら、ちょっとした異変にも気付けてあげられていたかもしれない。仕事のストレスや疲れで、中々実家に帰ってくることが出来ないでいたからな。福ちゃんの具合が悪くなる前は、2ヶ月にいっぺんくらいしか帰って来ていなかったから…
福ちゃんとは僕が中学一年生の頃、今から14年前の5月13日に出会ってから僕が家を出るまでの間、基本的にずーっと毎日一緒だった。辛い時もどんな時も、いつも変わらず側に居てくれた。もう、人生の半分以上。
こう言っちゃなんだけど、僕は自分の両親や弟より、いつも福ちゃんの事を第一に考えている。序列を付けるならば、福ちゃんが圧倒的にトップなんだ。こうして実家にちょこちょこ帰って来るのも、ただただ福ちゃんに会いたいから。両親に顔を見せに行くのなんか、正直半年以上に一度程でいい。あとは、たまに遊びに連れてってあげれば充分だと思う。そりゃあ、家がもっと近ければもっと頻繁にでもいいけどさ。
福ちゃん、今どんな気持ちなんだろう。僕のこと怒ってるかな。なんで晩年に一緒に居てあげられなかったんだろう。もっともっと愛してあげれば良かった。
今はもう、あの頃の福ちゃんは居ない。昔の元気だった頃の写真を見ると、あぁ、もう僕の知ってる福ちゃんは居ないんだなって思ってしまう。まだまだ頑張って生きてくれているから不謹慎かも知れないけど、無意識にもう半分居なくなってしまったものとして考えてしまっている。一番辛かったのは、癌だと知らされた時だったな。あの日は我慢してもしきれなくて、嗚咽を漏らして実家で泣いてしまった。恐らくあの日から、僕の中で福ちゃんの存在が今までとは違うものに切り替わってしまったんだと思う。本能的に、予防線張ってるんだろうな。居なくなった時の辛さを軽減させるため。そういう意味では、一応覚悟が出来ているのかもしれない。
部屋でゲロ吐いて叱ったり、壁を引っ掻いて憎たらしく思ったりしていた頃が懐かしい。まぁ懐かしいと言っても、つい最近までだってそうだったんだけどね。福ちゃんは猫だから、僕より遥かに寿命が短い。それはしょうがない事だし分かってはいるんだけどさ。やっぱり受け入れ難いな。福ちゃん、ちゃんと幸せだったかな?そして今も。
福ちゃんが居なくなるって、僕にとってどういう事になるんだろう?本当に身近な存在の死別って、経験したことが無いから皆目見当がつかない。とにかく、とんでもなくショックで、凄まじい喪失感や虚無感に襲われるっていうのは容易に想像できる。ただそれが、僕の心にどんな影響を及ぼすんだろう?ちゃんと受け入れられるのかな…
…って、辛いのは僕だけじゃなくて、福ちゃんだって辛くて苦しいんだ。今は居なくなったらどうしようとか、そういったことばかり考えていちゃダメだ。残り少ないかも知れない時間を、どうやって一緒に過ごして行くかを考えるべきだ。
福ちゃんは僕の宝物。そして大切な家族。逝ってしまうまで、最大限の愛情をぶつけてあげたい。とりあえず、出来るだけ側に居てあげることが今は一番かな。。